子宮筋腫体験記

子宮筋腫になってからの記録

千葉の病院にて

これも事前にネットで調べたのだが、「医者が優しい」「入院食がおいしい」とそこそこ評判のいい、千葉の病院へ。


しかし、そのネットの評判の中で大多数を占めていたのは、「待ち時間が物凄く長い」。

実際行ってみると、11時頃着いて、診察を受けたのは14時過ぎだった・・・待った。。。


医者の診察を受ける前、看護婦から問診。

タメ口全開の看護婦。腹立つ私。


なぜ、看護婦って初対面の患者にタメ口な人が多いのだろう?何様だ?えらいの?そんなにあんた。


と、私は、思うのだが。


なので、不快な思いで問診を済ませ、さらに待たされた後、医者登場。この病院の理事長先生。おじいちゃん。


おじいちゃんに私は聞いた。

「手術した方がいいですか?」

おじいちゃん即答。

「切った方がいい」


3ヶ月、もしくは半年間、生理を止める注射をして、それから手術して、手術後半年間、生理を止める薬を飲みましょう、との事。手術後に薬を飲むのは、生理を止める事で、子宮筋腫の再発を防ぐためだ。


で、結局その日は内診でがん検査をし、検査結果を受けた上で、次回、注射しましょうという事に。病院を出たのは、15時・・・

それから

新大久保の病院に行き、実家近くの病院で治療を受けたいと話す。前回の池袋の医者にも、新大久保の医者にも、手術が必要なのか?と聞いたが、「うーん?」ばかり。「ライフスタイルによりますよね」とか、はぐらかして明言を避けている印象。結婚も妊娠も予定ないし、ライフスタイル云々なんて関係ないんだが。はっきりと手術が必要と言ってしまえば、責任負う事になるからなのか。


結局、千葉の病院宛に紹介状を書いてもらって、特に診察もせず、その日は退散。

その後、千葉の病院に行ったのでした。


千葉の病院は、実家から車で1時間ちょっと。

遠い(@_@)


なぜ母がその病院を推すのかと言うと、母はエホバの証人で、輸血しないという信条を受け入れてくれる病院という事で知っていたようだ。ちなみに、というか声を大にして言うが、私はエホバの証人ではない。ので、輸血云々は関係ない。しかし、東京の病院じゃ、いざ手術入院となった時、親は来づらい。


2年半前、私は、くも膜下出血になった。

その時、車で片道2時間かけて両親が東京の病院に通ってくれたのだが、それで懲りたようだ。


という事で、千葉の病院へ。

はじまり 4

手術が必要かもしれない、と解った時点で、実家の親に電話した。


私「かくかくしかじか」

親「それなら、千葉にいい病院があるから、そこに来なさい。東京まで(私は東京在住)看病に行けないし」


と、言う事だった。


(私の実家は、茨城県の取手市。私は、千葉県柏市生まれ。土地勘のない人には無関係な話だが、東京の日暮里から30分位の所に実家がある。取手は、ほぼ千葉県みたいなもんだ)